ナイロンの泡に別れを告げ、私の肌は一人の「職人」を指名した。
その名は、サトオさん。
長年、当たり前のように使っていたナイロンのボディタオル。どこか違和感がありながらも、幼い頃からの習慣で使い続けてきた。習慣というものは恐ろしい。私の憧れ「タモリさん」の影響で手洗い派に転向したこともあったけれど、私の心はどこか物足りなさを叫んでいた。
楽天をマラソンしているとき、ほぼ野性のカンだけで生きている私の手がそれを無意識にクリックしていた。「サトオさん」。亀の子束子西尾商店が放つ、そのあまりに潔いネーミングに、私は一瞬で恋に落ちた。

泡のぬくもりを脱ぎ捨てて、職人を指名する

紐のついたそのたわしを背中に回した瞬間、「これだ!」と細胞が叫んだ。刺激の先にある心地よさ、何とも言えないスッキリ感、この中毒性のある手応えを私は長年探し求めていたのだ。私はとうとうナイロンのボディータオルから解放されたのだ。
紐のついたそのたわしを背中に回した瞬間、指先に、あるいは肌に、懐かしい感触が走った。
「鋭くも爽快な刺激」
その刺激は、単なる痛みではない。細胞のひとつひとつが、深い眠りから呼び覚まされるような感覚。かつて生死を彷徨い、生きている実感が希薄になったあの三年前を思えば、この肌が目覚めるようなピリリとした刺激さえも、大宇宙からの「生きろ」という愛の鞭に思えてくる。
下ごしらえの指先が知っている、生きている「手応え」

かつては体を洗うことさえ億劫に感じていたのが、嘘のよう。
今では、一日の終わりにサトオさんを手に取るのが、欠かせない楽しみとなっている。
我が家の男たちは、私が浴室でこれほどまでの心地よさに浸っているとは露ほども知らない。
反抗期で口をきかない二十一歳の息子も、一歳年下の愛すべき夫も、勝手にどうぞという顔をしている。けれど、それでいい。幸せというものは、誰かに干渉されず、自分自身の内側で静かに煮詰めていくものだ。
今では、一日の終わりにサトオさんと対峙するのが、明日のFXチャートを読み解く勉強と同じくらい、欠かせない楽しみになっている。
男たちには見せない、私だけの小さな凱旋門

驚いたのは、その実力だ。
ガサガサだったかかとが、今では痛々しいひび割れもなく「つるんっ」と輝いている。
「サトオさん一つで、私は私を再生できる」そう確信した。
ところで、サトオさんはまだ初心者向けだという。
この先にはタムラさん、ナリタくん、そして最終階級のニシオ君が控えている。
FXで市場を攻略し、世の中に貢献する夢を追いかけるように、私はこの「たわし道」も極めてみたい。
「ニシオ君」へ続く道、野望は熱いうちに

最終的にニシオ君を使いこなせるようになった時。
その時、私の「百歳現役」という野望は、より確かな手触りとなって、この肌に刻まれているはずだ。
今夜も浴室から、シュッ、シュッと心地よい音が響く。
背中のかゆいところに手が届く幸せを、サトオさんと分かち合いながら。
<ありがとうごさいます。フクヒロ・ユキ>
