リビングの摩天楼キャットタワーと、二歳ネコの三日目の勇気

リビングの摩天楼と、三日目の勇気

三年前、私は死の淵を歩いた。

あの時、三途の川の向こう岸が見えたからだろうか。私の「明日」という概念は、音を立てて崩れた。代わりに居座ったのは、この一瞬をどう愛でるかという、ひりつくような情熱である。

だから、リビングにそびえ立つあのでかくて高い塔を前にしても、私は微塵も後悔していない。

「明日」を捨てて、中今の扉を開く

娘が置いていった猫、ノア。

彼は実に見事な「規則正しさ」を持って我が家にやってきた。決まった時間のご飯、決まった時間の排泄、そして決まった時間の微睡み。最初は部屋の隅っこで、まるでFXのチャートが凪いでいる時のように静かに息を潜めていた。けれど、空腹に耐えかねて「ニャー」と鳴いた時、私は胸が熱くなった。ああ、この子も一生懸命に生きている。命を守るとは、こういう声を拾い上げることなのだ。

スーパーの揚げ物と、一ヶ月の逡巡

私はキャットタワーを買うまでに1か月もの時間をかけてしまった

購入した決め手はもう一人の私がこう呟いたからだ。

「死んだら、買えないぞ」

それにしても、時間がかかりすぎた。ノアごめんね

スーパーのデリカコーナーで一人、揚げ物の色味を直感で決めてきた私だが、こればかりは「損切り」のできない大きな買い物だった。値段を見てはため息をつき、大きさを想像しては首を振る。けれどある日、縄文の扉が内側から開くような感覚に襲われた。

「死んだら、買えないじゃない」

その一瞬、マウスを握る指先がFXの注文ボタンを叩くように動いた。迷いは、最高のスパイスになる前の余計なアクに過ぎなかった。

 

動かぬ息子、そして三日目の震える足

とうとう届いたキャットタワーは、もはや家具というよりは建築物だった。 組み立てる夫の横で、二十一歳の息子は石像のように動かない。手伝いもしなければ、文句も言わず、表情も変えない。鉄面皮なその横顔を見て、私は逆に興味が湧いてくる。この静寂の裏で、彼は何を想い感じているのか。

さて、ノアにとって、その塔は未知の山嶺だったに違いない。

一日目は、ただ遠巻きに眺めるだけ。

二日目は、慎重に匂いを嗅いで、やはり諦めた。

そして三日目。

彼は恐る恐る、けれど確かに第一歩を踏み出した。ワンルーム育ちで「高さ」を知らなかった彼が、震える足で上を目指している。その姿を見て、私は確信した。

始まりは、いつだってこの不格好な一歩なのだ。

摩天楼の頂上で、幸せを噛み締める

FXの勉強も、百歳現役への道のりも、あるいは口をきかない息子への全肯定も。

諦めない心さえあれば、リビングの摩天楼の頂上は、決して遠くはない。

今夜もノアは、タワーの一番高い場所で、誇らしげに丸まっている。

その寝息を聴きながら、私は少しだけ高い位置にある「幸せ」を噛み締めている。

余談ですが、1か月以上経つ今も、ノアは宇宙船には入りません。怖いんだね、無理しなくていいよ

<ありがとうございます フクヒロ・ユキ>