透明な火に、心をかざして ― ボロシルのグラスがつくる「無」の贅沢

硝子は、火に弱い。そんな私の「常識」は、この小さなインド製のグラスにあっさりと裏切られた。

「ボロシルのヴィジョングラス」見た目は、どこにでもありそうな潔いほどシンプルな円柱だ。けれど、こいつは「直火」という無茶を受け入れる。

硝子の常識が、青い炎に溶けるとき

初めてガスコンロの青い炎に乗せたときは、さすがに指先が震えた。パリン、と音を立てて砕け散るのではないか。そんな不安をよそに、水は底から「ポコン、ポコン」と笑い出すように泡を上げた。見ているうちに、私の心の中にもワクワクとした灯がともる。

FXのチャートを凝視するのとはまた違う、けれど同じくらい真剣な、静かな観察の時間。沸騰するお湯をこれほど長く眺めていられるのは、そこに確かな「幸せ」が立ち昇っているからに他ならない。

シナモンが舞い、心のノイズが凪いでいく

このグラスの中で、どうしても躍らせてみたいものがあった。

お取り寄せした、有機栽培のシナモンスティックだ。

透明な舞台の上で、琥珀色のスパイスがゆらゆらと舞い、ハーブが香りを解き放つ。それは一日のうちで最も贅沢な、自分へのご褒美だ。

チャートのローソク足が予測不能な動きを見せるとき、私の心は千々に乱れるけれど、このグラスの中のダンスは、ただただ私を深く癒してくれる。

喧騒の向こう側、透明な「聖域」に籠もる

台所の外では、日常という名のノイズが騒がしい。

預かりっぱなしの猫が足元で鳴き、大学三年の息子は、私の問いかけに鼻を鳴らすだけで部屋へ消えていく。三年前、生死の境を彷徨ったときのあの静寂に比べれば、この無愛想な生活さえ「大宇宙」の愛に満ちているとは思う。けれど、やはり主婦には「一人」が必要なのだ。

ヴィジョングラスが作る透明な壁は、騒がしい家族の気配を柔らかく遮断してくれる。

ストーブの上でコトコトと煮込まれる林檎や、ウォーマーの上で最後の一滴まで温められるお茶。その湯気の向こう側で、私は「無」になる。

それは、空っぽになるということではない。満たされすぎて、何も欲しがらなくなる状態だ。

最後の一滴が運んでくる、大宇宙の温もり

食品を保存すれば中身が一目瞭然なように、このグラスを使っていると、自分の心の中までもが透き通って見えるような気がする。

不器用な息子も、わがままな猫も、そして明日の相場も。

すべてをそのまま受け入れられるような、不思議な強さがこのグラスには宿っている。

最後の一口を飲み干し、温まったお腹をさする。

トホホな毎日だけれど、私の暮らしは、この一個のグラスのおかげで、少しだけ高みに昇ったような気がしている。

<ありがとうごさいます。フクヒロ・ユキ>